6月4日(木)インド時間 AM 1:24。Varanasiのゲストハウスにて。
今日は様々なことがあって、その上さっきまでブラと宗教や政治、人生、幸せ、欲…“Awaking”について話していたら頭ががんがんして、その上クーラーもないし何かに嚙まれて痒いし眠れないからこれを書いてる。
お父さんが私にハンバーガーを半分くれている夢。
“Goro’s Dinnerにいってきたんだ。おいしかったから半分持って帰ってきた。”
そういって私にくれた。
父が美味しいレストランへ行ったり、長蛇の列を作る話題の店に行った時に、いつも当然かの様に私にそうしてくれるように。
そこで私達が泊まっていたゲストハウス、Shiva Ganga’s View Houseのインド人オーナーのノックの音で起こされた。
朝5時20分。早朝のガンジス河での様子をボートから見る為に、前夜に品のある、どこかグルを感じさせるオーナーに相談したところ、ボートを手配してくれたからだ。
インド。どこにそんなに大勢の人が愛する理由があるのかわからなかった。だって魅力よりも明らかにhatsleのが大きいもん。
Chaos、Mess,No culture people,Poorness.Dirty,cheating,Pain….
人はヒンドゥーの癖にお金大好きで外国人をお金としか見てないし、移動するのには45度の炎天下の中30時間も、暑いし、汚いし、息できないし、自分が豚か牛かジャガ芋だったか本気で考えさせられる様な電車の棚に箱詰めだし。(2nd class Sleeperだからかもだけど)
だけど、この町、バラナシ。何かがあるんだと思う。
聖なる河、ガンジス。(Ganga)その河沿いで全ては起こってる。
死を待つために人々が集まり、死体は燃え、死体は散々棒で突っつかれ破壊され、その横ではストレス発散してるかのように布を岩に殴りつけながら洗濯している人々。そして無邪気に水遊びする子供と若者。
その横には町中の全排泄物が集まる下水。その水で歯を磨き、全身を洗う人。その横では私達からいかに金を取ろうかと取りあえず“ハロー、サー、ボート???”と声をかけてみる人。
100万ドルの笑顔を振りまきながら駆け寄ってくる子供達。口々に“マネー!!”もしくは”10ルピー!!“と言いながら。
その後ろからは“マリファナ、ハシシ、チャラス??”といいながら追いかけてくるサドゥー風のお爺さん……サドゥーになりたいらしき同じような装いをした外国人。そして牛。山羊。
私は今全てに感謝したい。私の持っている全ての人生。愛、過去、知恵、知識、教育(内容については所見有りだけど)、物質。全部全部全部。
世界中の貧しい人々から見たら、自分は恵まれている、幸せ。
そう思っていたけど、そんなのは至極表面的な思いだったな。今の思いを文章にすると、凄く稚拙で浅はかになる気がするけど、書く。
私はインドが嫌い、というかインドに居る事がつらい。インドはインド。ここは私の地ではない。取りあえず現時点では。
本当にありがとう。貴方は偉大だと思う。私お父さんに何かあったら生きていけない。ブラでも役不足だろうな。でもブラが死んだら私も死ぬしかないけど!
何でか今でも夢を思い出すと涙が出る。しかもハンバーガー。しかもゴローズダイナー。お父さん、ゴローズダイナーは確か渋谷か原宿にあるよ。美味しいらしいよ、行った事ないけど。
考える能力がある。これは感謝しなきゃいけないこと。そして無駄にしてはいけない能力。
人間は物質的なものに捉われないでも、自分の思想で自分の人生を幸せに出来るんだから、こんなに便利で都合のいい、恵まれたことはない。
欲。欲は永遠に満たされない、果てしなく繰り返される。人間は何かを常に自分に取りいれたい。
What do you want?
そう聞かれたら何て答える?
何が欲しいか考えるかな。お金、地位、服…
私は中学時代から人間は欲がなくなったらお終いだと思ってた。成功したい、これを手に入れたい、こうなりたい。ある意味“目標”と表せるもの。
それがあるから人間は永遠に頑張り続けられるんだと。
欲って響きは凄く醜い。でも欲には他の使い方があることに気がついた。
物欲(お金もね)でなくてもいいのは勿論だけど“欲“は自分自身の為でなくてもいいんだ。
“人間にはとても悪い癖がある。常に自分のことを優先して考えることだ。
与えることを考えなさい。そうすれば与えることに忙しくて、自分の欲な
んか考える暇はないのだから。Just Give….“
Bhagavan Dasの言葉。(私の要約日本語訳だから微妙だけど)
物質的なものの価値。これは人間が自身で創り出したもの以外の何でもないもの。
ゴールド。何でゴールドは高いの?
ダイヤモンド。何でダイヤモンドは高いの?
ブランド物。何でブランド物は高いの?
数少ないから?手間がかかるから?いい素材を使っているから?
それは一つの指輪や鞄、車や腕時計が100人の死にかかっている子供の一生を最低限のケアができるのと同じ金額だけの価値までがあるものなの?
その価値は誰が決めたの?
それでも人は物にお金を浪費する。
勿論自分の人生をよりいい状態にすることはとてもいい事で当然なんだけど。
なぜ?
私にもわからない。メディアコントロールや、教育背景は原因の一つにしろ、25年間の“悪い癖”は、そんなに根強いの?
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